目覚めた瞬間に恋人の顔を見たいと望むのは贅沢な悩みなのだろうかと、今朝もまた一人で目覚めた倉庫の片隅で毛布に包まったままサンジは溜め息をついた。
朝の眩しくも冷たい光に目を細めながら扉を開き、サンジは一歩外へと足を踏み出す。
「よ、おはよう」
「……ああ」
すでに眠気は去っていたが大きく欠伸をひとつして、首の後ろを片手で撫でると、サンジは甲板に立ち鍛錬を始めていたゾロへと声を掛けた。
「すぐに朝飯出来るから寝るなよ?」
「わかってる」
昨夜ともに抱き合って眠ったはずの相手からのそっけない返事に苦笑を浮かべてその目の前を通り過ぎ、ゆったりとした足取りのままに階段を上っていく。毎朝のやりとりとはいえ本当にそっけないゾロの態度に最初の頃は凹んだりもしたが、こんなもんだと今は諦めの気持ちのほうが強い。ゾロ相手に普通の男女のような恋人らしい馴れ合いを期待するほうが間違っているのかもしれない。
「あっ! しまった…」
階段途中で思い出したとサンジは慌てて振り返り、バチリと音がしそうなほどに絡み合った視線にパチパチと思わず瞬きを繰り返した。
「……なんだ?」
そんなサンジの様子にほんの少し眉をしかめて先の言葉を促してきたゾロに、ああ、とサンジはもう一度小さく口の中で繰り返すと一段、階段を甲板へと向かって下りる。
「煙草…、あそこに忘れてきちまった…と、思って」
ゾロに答えながらサンジは胸ポケットを軽く指先で探ってみせた。
「……そうか…」
「ああ……」
その答えに興味をなくしたのか、フイっと視線を反らして手に持っていたダンベルを上下させ始めたゾロにサンジは苦笑して、ゆっくりとした動作で先ほど出てきたばかりの倉庫を目指す。ほんの一瞬だけゾロの視線が自分に向けられたような気がしてそっと振り返ったサンジは黙々と腕を上下させているゾロの姿に気のせいかと苦笑を浮かべながら扉を押し開いた。
「……ええっと、確か…、この辺か?」
昨夜の記憶を辿りつつ、サンジは先程毛布を隠した樽の隙間を覗く。
キッチンで機嫌よく飲んでいたゾロを倉庫に誘って、その扉が開くのを待ち切れずにその唇に咬み付くようなキスをした。
キスはゾロが飲んでいたラムの味がして、欲情した時にゾロから立ち上る濃い花の蜜のような香りと相まってキス一つでサンジをたまらなくさせた。扉に押しつけるようにして唇を味わい、味わいながらその服を毟り取るようにして剥いで、あらわれた日に焼けた肌に匂い立つような色香を感じて眩暈さえ感じた。
「…あ、れ? おっかしいな?」
バサバサと毛布を振り、樽の隙間を覗き込み、サンジは首を傾げた。
夢中になって互いを弄ったのは記憶にある。サンジがゾロの服を脱がしながらキスを仕掛けている間にゾロの手がサンジのスーツを剥ぎ取り、ネクタイに指を潜らせたのは確かに記憶にあるがその時にでも煙草が落ちたのかと思い出そうとしてもさっぱり記憶には残っていない。荒く吐き出された息だとか、熱に色を変えた緑の瞳だとか、唇の間から誘うように覗いた赤い舌だとかははっきりと思い出せるのにその時に服をどうしたかなんて覚えていないのだ。そのあと、床に落とした毛布に二人して縺れ合うようにして抱き合い倒れた時には互いの上半身は裸だったから、その前に脱がせた時に弾みで落ちた可能性は高い。
サンジはグルグルと樽の間を覗き込んで眉をよせるとひとつ溜息を零した。
昼間でも薄暗い場所なのだ。早朝のまだ光の届かない暗い部屋では小さな煙草の箱ひとつ、積み上げられた木箱の間にでも落ちてしまっていればそう簡単には見つからないだろう。
「……しょうがねえか」
早朝だ。朝早くから倉庫で不要な物音をたてて他のクルーを起こしてしまうのは可哀そうだと思うし、探し物の理由を聞かれたら返答にも困ってしまう。
小さく呟いてサンジはひとつ苦笑を漏らすと、手にしていた毛布を先ほどと同じように樽の間に隠して、倉庫の扉を開いた。
「ほら」
「!!?」
扉を開くとすぐに飛び込んできた緑の頭髪と、その腕が差し出している煙草の箱にサンジは驚いたように息を吸い込む。そんなサンジの態度にかすかにゾロの首が傾げられ、整った眉がゆっくりと顰められた。
「え? これ、どこにあった?」
差し出されたままのゾロの手と、その手が掴む煙草を見つめながらサンジは思わずといったふうに問いかける。
「キッチン」
「はっ?」
ゾロの答えにサンジは間抜けな声をあげると頭をあげ、やはり眉をしかめたゾロの顔に出合って瞬きを繰り返す。封の開いたそれは確かにサンジのもので押しつけるようにして渡してきたゾロから受け取ってまた一つ首を傾げる。
確かに昨夜片付けを終えてキッチンで煙草を吸おうと思ったところまでは記憶がある。確かそのあとすぐにゾロが来て…と記憶を辿り始めたサンジに背を向けてゾロの後ろ姿が遠ざかっていく。
「あ……マジかよ」
そう、昨夜は煙草を吸おうとして、そこにゾロが現れたから、なんとか倉庫まで誘おうとそちらに意識が行ってしまい、テーブルの上に煙草の箱を置いたままになってしまったのだ。そんな簡単なことまで覚えていないなんてどれだけ俺はがっついてたんだと顔を赤くしながら手渡された煙草を見つめる。
そして遠ざかっていくゾロの後ろ姿へと目をやってサンジはカリカリと指先で鼻の頭を引っ掻いた。
いつもよりゆっくりとした動作で歩いているような気がするのは気のせいではないのだろう。
「あー……、ゾロ、ごめん」
思わずといったふうに漏らしたサンジの言葉にピクリと肩を揺らしたゾロの脚が止まりかけ、また進み始める。ピアスの揺れるその耳がうっすらと赤くなって見えるのは気のせいではないだろう。
朝目覚めると必ず居なくなってしまっている恋人は抱き合ったことが照れ臭くていたたまれないのだろう。
「………謝んな……」
先ほどと同じようにキッチンへの階段を上りかけ、背後から聞こえた小さな呟きにサンジは煙草を咥えていた唇を歪める。その声はサンジと抱き合うことが嫌だとは微塵も言っていない。
「すぐに朝飯だ。待ってろよ」
「……ああ」
キッチンの扉に手をかけてにこやかにゾロに宣言して我が城へと踏み入り、サンジはへらりとだらしない笑みを浮かべた。
「あの不器用者め」
昨夜の記憶がぶっ飛んでいるサンジにゾロと抱き合う前のキッチンの記憶はほとんどない。ならば洗い籠に伏せられた水滴の滴る皿も、不格好に置かれたテーブルクロスもゾロの仕業だ。目覚めたゾロが一番に向かった場所がキッチンというところに愛を感じるなあとサンジはこっそりと笑う。そしてこちらが出てくる気配を察知してゾロが慌てて甲板に戻ったのだろうということも容易に想像がついた。
「朝飯はまりもの好きな和食だな」
クククと小さく笑いを漏らしながらサンジはエプロンを取り上げて朝食の準備にかかる。その時に汚れては悪いとシンクの傍に立てかけてあったゾロの大切な相棒たちをそっと移動させる。
慣れないキッチンの片付けをこなし、しかもそのあとに覗いた時も刀の存在を忘れて煙草をだけを持って行ったゾロに愛されていると思って浮かれても仕方ないだろう。
きっと、もう少しサンジに愛されることに慣れてくれれば抱き合ったまま目覚めるのも夢ではないのかもしれない。
幸せな気分にプカプカとハートの煙を吐き出しながら、サンジは甲板で動揺も隠せずひたすらダンベルを振っているだろうゾロの姿を想像して、とびっきり美味い朝食を用意してやろうと包丁を握る手に力を込めたのだった。
END~
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小話です(^^
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